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番外「万事素直」

2015年11月04日
素直さは物事を会得する時に、大きな力になる。

会長先生なりの解釈ではありますが
「万事素直」この言葉は、今は亡き剣道家の座右の銘です。

以前このブログでお話しました、会長先生が剣道を始めた切っ掛けは
母親の「剣道をやってみれば」の一言でした。

少しでも親孝行になれば、と思い中学の剣道部に入部した訳です。

実はそれ以前に、ある町道場の門を叩いた事があります。

会長先生は幼少の頃、JR目白駅の駅前にある幼稚園に通っていました。
当時、池袋に住んでいた会長先生ですが、通園路を少し外れた所に
その道場はありました。

会長先生の母親は、余程剣道に興味があったのか、幼稚園児を入門させるべく
道場の門を叩いたのです。


「もう少し大きくなったらいらっしゃい」


道場の先生は、笑顔でそうおっしゃいました。

残念ながら小学校入学後、間もなく引っ越しをした会長先生は
二度とその道場を、訪れる事はありませんでした。

もしその道場に入門していたなら・・・
今頃会長先生は、真打になっていたかもしれません。

何故ならその道場の先生は「五代目 柳家小さん師匠」だったのです。

もちろん「剣道部」に熱中した事に間違いありません。
楽しく稽古していた・・・と思います。

授業の一環であるクラブ活動は「バスケットボール」
近所にある巣鴨体育館に、週一回ですが自由に出来る日があり
剣道の師匠である双子の栗田兄弟と毎週通いました。

その栗田兄弟のお父さんに、釣りを教わりました。

人生初めての釣り対象魚は「へらぶな」
電車を乗り継ぎ、千葉県の印旛沼と手賀沼には日曜日の度に通いました。

釣りの世界では「鮒に始まり鮒に終わる」と言いますが
へらぶな釣りは、相当高度な釣りでした。

中学2年生の時、お年玉でギターを買いました。
当時のテレビCMで「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない」
と言っていたので、当然モーリスのギターを買いました。

・・・良い夢を見させて頂きました。

余談ですが
18歳から28歳になるまで、都内のライブハウスで
夢を見ながら音楽活動をしていた過去があったりするのです。

会長先生の実家のリビングには「山本五十六連合艦隊司令長官」の写真が飾ってあります。
スナップ写真も、数点あったりします。

理由は会長先生の父親の実家が、山本さんの家の近所にあったからです。

会長先生の父親の実家の前には、現在「山本五十六記念公園」があり、胸像と四角い池
そして戦後に復元された山本五十六さんの生家があります。

ちなみに山本さんの生家の鍵は、会長先生の父親の実家で預かっています。
見学を希望する方は、遠慮なくご連絡ください。
(http://www.ym56.net/kinenkouen.html)

昔、山本さんが言ったそうです。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、誉めてやらねば、人は動かじ」

実力も輝かしい戦歴もない会長先生が、子どもから大人の方を指導する中で
剣友会を発足した時から、いつも心に留めている言葉なのです。

遊んでばかりの毎日。
「缶蹴り」「メンコ」「ベーゴマ」「駄菓子屋で買い食い」
「もんじゃ屋巡り」「三社祭り」「悪漢・探偵」等々。

ちなみに「悪漢・探偵」と呼ばれた鬼ごっこ。
山の手では「刑・泥(刑事と泥棒)」と言うそうです。

自宅の裏にある材木屋の資材置き場に基地を作ったり
他人の家の屋根の上を走り回ったりもしました。

何故か鮮明に覚えている事の一つに、東陽公園で遊んでいる時
横断幕を靡かせた小型飛行機を上空に発見。

横断幕には「沖縄返還」と書かれていました。
当時は、全く意味が分からなかった筈です。

残念ながら小学校時代、剣道とは無縁でした。

そして中学校の入学に合わせて、豊島区の南大塚に引っ越し。

いよいよ剣道と出会うのです。

東陽公園の中央には、大きな滑り台があります。

滑り台の二面は、登る為に「埋め込まれた石と鎖」があり
残りの二面はなだらかな滑る面と急斜面ですが、子供なら6人くらいが
並んで一斉に滑る事が出来ます。
TV番組「もやもやサマーズ」で、恐怖の滑り台と紹介されていました。

さて「型屋」です。
石膏で出来た型に粘土を詰めて、板に取り出します。
新聞紙に小さく包まれた色の粉を親父から購入し、筆で綺麗に
塗り上げていくというモノ。

差し詰め、塗り絵の立体版といった感じでしょうか。
型は、鉄人28号やら動物やらのキャラクターになっています。

上手に出来ると親父の前に陣取る大きなベニヤ板の上に
暫くの間、飾って貰えるのです。

会長先生は196〇年の冬、東京江東区は木場の
とある、リバーサイドホスピタルで産声を上げました。

病院名は知りません。単に川沿いにあった病院です。
木場周辺は、川が多い町ですから。

子供の頃、毎日遊んだ東陽公園は、永代通りに面しています。

永代通りには当時「ちんちん電車」が走っていました。

その東陽公園に毎日いた「紙芝居屋の親父」と「型屋の親父」

「紙芝居屋」は兎も角、「型屋」って知ってますか?