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遊んでばかりの毎日。
「缶蹴り」「メンコ」「ベーゴマ」「駄菓子屋で買い食い」
「もんじゃ屋巡り」「三社祭り」「悪漢・探偵」等々。

ちなみに「悪漢・探偵」と呼ばれた鬼ごっこ。
山の手では「刑・泥(刑事と泥棒)」と言うそうです。

自宅の裏にある材木屋の資材置き場に基地を作ったり
他人の家の屋根の上を走り回ったりもしました。

何故か鮮明に覚えている事の一つに、東陽公園で遊んでいる時
横断幕を靡かせた小型飛行機を上空に発見。

横断幕には「沖縄返還」と書かれていました。
当時は、全く意味が分からなかった筈です。

残念ながら小学校時代、剣道とは無縁でした。

そして中学校の入学に合わせて、豊島区の南大塚に引っ越し。

いよいよ剣道と出会うのです。

東陽公園の中央には、大きな滑り台があります。

滑り台の二面は、登る為に「埋め込まれた石と鎖」があり
残りの二面はなだらかな滑る面と急斜面ですが、子供なら6人くらいが
並んで一斉に滑る事が出来ます。
TV番組「もやもやサマーズ」で、恐怖の滑り台と紹介されていました。

さて「型屋」です。
石膏で出来た型に粘土を詰めて、板に取り出します。
新聞紙に小さく包まれた色の粉を親父から購入し、筆で綺麗に
塗り上げていくというモノ。

差し詰め、塗り絵の立体版といった感じでしょうか。
型は、鉄人28号やら動物やらのキャラクターになっています。

上手に出来ると親父の前に陣取る大きなベニヤ板の上に
暫くの間、飾って貰えるのです。

会長先生は196〇年の冬、東京江東区は木場の
とある、リバーサイドホスピタルで産声を上げました。

病院名は知りません。単に川沿いにあった病院です。
木場周辺は、川が多い町ですから。

子供の頃、毎日遊んだ東陽公園は、永代通りに面しています。

永代通りには当時「ちんちん電車」が走っていました。

その東陽公園に毎日いた「紙芝居屋の親父」と「型屋の親父」

「紙芝居屋」は兎も角、「型屋」って知ってますか?

はじめまして、会長先生です。

これまでブログを担当していました勝谷先生がご多忙の為
ピンチヒッター的に、ブログを始める事となりました。

皆さんにとって、特に興味のないだろう会長先生の生い立ち
変哲のない剣道秘話、他愛ない日常をお話しようと思います。

どうぞお付き合いください。