本日 275 人 - 昨日 122 人 - 累計 567211 人
小学生の頃、道場に早く着いて稽古開始時刻まで余裕が
がありました。

そこで、竹刀に付けるプラスチック製の「つば」を取り
出し、それを床に置きます。

「つば」の穴に竹刀の剣先を入れて、数メートル離れた
相手に向けて、アイスホッケーのように竹刀をスライド
させて、「つば」を滑らせるのです。

数人のチームを作って二手に分かれ、相手側の壁に「つ
ば」が当たれば得点になります。

しばらくやっていると剣先の先皮が破れます。

そして、エキサイトしてくると相手に向けて飛ばした「
つば」が円盤のように浮き上がり、相手の目の高さまで
飛んでいきます。

目に当たれば、大怪我をするところですが、面を着けて
まではやりませんでした。

剣道の稽古中、先生に竹刀を払われて落としてしまう
ことがあります。

そんな時は、間髪いれず次のいずれかの行動をします。
①竹刀をすぐに拾う 
②先生に向かって跳びつく

竹刀を落としたら最後、先生がおもいっきり面を打っ
てきたり、喉元を突いてきたりします。

面を打たれないように小手で防いでも、おもいっきり
小手の上から面を打たれるので、手首や腕が腫れ上が
ります。

そうなりたくなければ、先生が剣先で落とした竹刀を
さらに遠くに飛ばす前に、間に合えば拾います。

但し、竹刀を拾うためにしゃがんでいるところに、突
きがくるのを覚悟しなければなりません。

もうひとつは、竹刀を拾うのを諦めて、先生に跳びか
かります。

相撲のように先生に抱きつき倒しにかかりますが、逆
に先生は、私の面をはずそうとします。

結局、面をはがされますが、これで勝負ありと言うわ
けにはいかず、その後、落とした竹刀を拾い、掛かり
稽古になるです。

先生は面をつけていなくても、掛かり稽古中、平気で
頭を竹刀で打ってくるのでした。

寒い冬の間、稽古が終わると全員で乾布摩擦をやり
ます。

稽古着、袴を抜いでパンツ一丁になり、タオルで体
を擦るのです。

当時私より3学年上の6年生の主将が、首、腕、背
中、胸、足と号令を掛けていきます。

その時の主将は、何がうれしいのかニコニコしなが
らみんなの見本となるように乾布摩擦をするのです。

乾布摩擦が終わっても、身体は暖かくならなず寒か
ったので、みんな急いで服を着ます。

主将を除いて・・・。

通っていた道場の稽古日は、当初週3日(火・金・日)
でしたが、その後特練組は土曜日も追加となりました。

ところで、年末の稽古納めの日に皆勤賞と皆勤賞は逃
したけれど、3回以内しか休まなかった特別賞の発表
がありました。

この時、皆勤賞と特別賞の入賞者は3名でしたが、そ
の中になんと私の近くに住んでいた同級生のF君がい
ました。

F君の家は、私の家と道場との間にあったので、稽古
がある日は、彼の家に寄って一緒に歩いて通っていた
のでした。

F君は、稽古中はサボってばかりだったので、私が休
んでいたときも、稽古に通っていたとは思いもしなか
ったのでした。

この時の皆勤賞の賞品は、畳の3分の1ほどの大きさ
のホワイトボードでした。

永田先生が当時勤めていた会社で扱っている製品を持
ってきたとのことでした。

週末の特練前のランニングだけでへとへとでしたが、
雨の日であればランニングは中止になると期待して
いました。

ところが、特練が行われていた市内の体育館は4階
建てでしたが、非常階段を何度も往復することにな
りました。

一方、稽古中声が出ていないということで、体育館
の外に出て10数メートル離れた大通りを人が通行
する度に「こんにちは」と大声で叫びます。

通行していた人は、怪訝な顔して通り過ぎて行きま
したが、いい加減勘弁してほしかったものでした。

早朝自主トレーニングでは、目が届かないと思ったのか
永田先生は、土曜日の午後から稽古をするレギュラーク
ラスだけを集めた特練の前に、トレーニングをすると言
い始めました。

防具を着けたまま運動靴を履いて、道場から元旦に登っ
た天下台の麓まで30分以上一気に走るのです。

永田先生は自動車に乗って、特練生を後から追いまくり
ます。

走り終えたあと腕立て伏せをするのですが、胴をはずし
ます。

胴を着けたままだと胴が先に地面に着いて、ちゃんと腕
立て伏せをしているかどうかわからないからです。

その後もと来た道を走って戻り、そこから2時間稽古が
続くのです。

すでに足と腕はパンパンになっていて、足は前に出ず、腕
は上がりませんでした。

年が明けると道場の永田先生が、体力強化の一環として
冬の間、早朝トレーニングをするようみんなに言いまし
た。

ちょうど夏休みに、住んでいる家の近くの公園や広場で
早朝にラジオ体操をするように、道場の通っている子供
達が集まって、準備体操をしたあと30分程走ったりする
のです。

しかしながら、私が住んでいた家の回りの子供は、5、
6人程しかおらず、先生も来ないことをいいことにずっ
とサボっていました。

しばらくしたある日の稽古で永田先生が、早朝トレーニ
ングに行っていない者は手を挙げろと言われました。

手を挙げたのは私を含め、数名しかいませんでした。

この日の早朝、永田先生は各地区でやっている早朝トレ
ーニングの実施状況を見て回っていたのでした。

その日の稽古で半殺しの目にあったのは言うまでもあり
ません。

小学生から通っていた地元の道場の初稽古は、毎年1
月2日でした。

この日は父母も多く集まり、道場の外で賑やかな話し
声が聞こえてきます。

当時道場は警察署の敷地内にあり、窓を開けた道場か
ら外がよく見えたのです。

母親たちは、稽古終了後に振舞う雑煮の準備で大忙し
です。

雑煮はドラム缶を半分に輪切りにしたものを鍋として
使用していましたが、人数が多いので大変そうです。

当日持参することになっていたおわんや箸を忘れる者
もいて、稽古でしごかれています。

さて、ドラム缶の雑煮は、やはり油の味がしみこんだ
独特な味がしたのでした。