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会長先生が剣道から離れて、既に20年以上が経過した年の春
再び剣道に係わる出来事がありました。

中学校に新入学をした長女が、驚く事に剣道部に入部したのです。

家族の誰かが薦めた訳ではありません。

各部活動の「部活紹介」を見学した彼女は、自分の意思で決めて帰宅しました。

彼女曰く「カッコいい」

防具を装着した先輩方が、凛々しく見えた様です。

当然マメな会長先生は、彼女が剣道部に在籍する三年間、試合・昇段審査等
仕事も顧みる事なく、応援と車出しに精を出しました。

そして中途半端に剣道経験のある会長先生は、長女に対し多少の剣道指導を
偉そうにしていました。

しかし自身が剣道を再開する気持ちは
「考えもしなかった」「さらさらなかった」そんな残念な会長先生なのでした。

番外「2017年」

2017年02月20日
新年を迎えたばかりの筈が、既に二月も終わろうとしています。

「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」とは良く言ったモノで
「あ!」っという間に、2017年も終わってしまうのかもしれません。

しっかりと目標を起てて邁進しないと、年の瀬には後悔が待ち伏せして
いるんだろう、と毎年の様に思う能天気な会長先生の元に、先月の終わり頃
ですが、北秋津剣友会唯一の高校生女子から連絡がありました。

三月に行われる「全国高等学校剣道選抜大会」に出場を決めた、と。

彼女は剣道が大好きで、稽古はいつも一所懸命の取り組んでいました。
そして強豪高校に進学し努力の結果、頑張ってレギュラーを勝ち取ったのです。

大会当日は是非、応援に駆け付けたい!
彼女の勝ち負けではなく、真剣に試合をする姿を見守りたい!

しかし残念ながら、愛知県は遠すぎです。

なので遥か離れた同じ空の下(所沢ですが)から、秘かに応援するつもりの
会長先生なのでした。

中学入学と同時に部活動で剣道を始め、高校入学後も本意ではないまま
剣道部に入部しました。

しかし1年生の夏休みを前に、退部したのです。

大した理由でもなく、ここでお話する程のモノでは有りません。

帰宅部となった会長先生は、その後クラスの仲間と音楽バンドを
結成しました。
併せて、同学年の有志と草野球チームを立ち上げたのです。

バンドの活動は、池袋か赤羽にある楽器屋のスタジオで練習に明け暮れ
草野球はグランドハイツ(現在は光が丘団地)か、練馬駅前の野っ原
(現在は練馬区文化振興協会)で、高校の先生方チームと日曜日の度に
試合をする日々。

それなりに充実した高校生活を送りました。

ちなみに夏休み前に辞めてしまった剣道ですが、その年の秋に二段を
受審し、合格する事が出来ました。

それから25年、剣道の「け」の字もない生活でしたが、ひょんな事から
再び剣道界に足を踏み入れてしまった、会長先生なのでした。

「18歳から28歳頃まで、都内のライブハウスで音楽活動をしていた」
そんな過去がありますと、このブログに書いた事があります。

その歴史は18の時に六本木で始まり、新宿・渋谷・代々木・高円寺・銀座
自由が丘・江古田で、月に4~5本のライブを行っていました。

ある日ライブの打ち合わせの為、新宿南口の明治通り沿いにある
「NY Antiknock(現・Antiknock)」を訪れました。

スタッフとの打ち合わせも終わり、店を出て、地上に続く階段を上がると
突然

「おはようございます!」

大きな声が地下通路に響きました。しかもそれは三重奏で。

顔を上げると、そこに居たのは「コント赤信号」の三人。
大袈裟な表現ではありませんが、彼らは本当に緊張した面持ちで立っていた事を
今でも覚えています。

その日は打ち合わせだったのか、ライブがあったのか、定かではありませんが
会長先生を、店の関係者だと思ったのでしょう。

それに対し会長先生は、別に偉い訳でもないのに「おはよう」
と答えながら、彼らの間を振り向きもせずに抜けて行きました。

あれから30数年。
芸能の仕事では全くの敗者ですが、剣道をするリーダーをテレビで見る度
剣道では負けない様に頑張ろう!と、心秘かに思う会長先生なのです。

普段は東京武道館で行われる五段審査会ですが、会長先生が受審した年は
改装工事の為に、東京武道館は使用出来ませんでした。

一回目の審査会は、雪が降った翌日の江戸川区の体育館。
歩道に残ったアイスバーンに、そうとう苦戦しながら歩きました。

二回目の審査会は国立市で行われ、お陰様で合格を頂きました。

江戸川区の審査会での出来事、偶然八王子から受審する友人に出会い
彼から耳打ちをされたのです。

「芸能人が来ていますよ」

会場を見渡すと、真剣な顔つきで着替える「その人」を見付けました。

当時「炎の体育会TV」という番組で、剣道の団体戦に出場していた
コント赤信号のリーダー「渡辺正行」氏です。

リーダーの立会いは、しっかりと拝見させて頂きました。
そして見事、四段に合格。
その模様は、後日「炎の体育会TV」の番組内で放送されました。

懐かしいなあ・・・とまでは思いませんが、リーダーと会うのは
これが二回目。

最初の出会いは、なんと約30年前に遡るのでした。