「18歳から28歳頃まで、都内のライブハウスで音楽活動をしていた」
そんな過去がありますと、このブログに書いた事があります。
その歴史は18の時に六本木で始まり、新宿・渋谷・代々木・高円寺・銀座
自由が丘・江古田で、月に4~5本のライブを行っていました。
ある日ライブの打ち合わせの為、新宿南口の明治通り沿いにある
「NY Antiknock(現・Antiknock)」を訪れました。
スタッフとの打ち合わせも終わり、店を出て、地上に続く階段を上がると
突然
「おはようございます!」
大きな声が地下通路に響きました。しかもそれは三重奏で。
顔を上げると、そこに居たのは「コント赤信号」の三人。
大袈裟な表現ではありませんが、彼らは本当に緊張した面持ちで立っていた事を
今でも覚えています。
その日は打ち合わせだったのか、ライブがあったのか、定かではありませんが
会長先生を、店の関係者だと思ったのでしょう。
それに対し会長先生は、別に偉い訳でもないのに「おはよう」
と答えながら、彼らの間を振り向きもせずに抜けて行きました。
あれから30数年。
芸能の仕事では全くの敗者ですが、剣道をするリーダーをテレビで見る度
剣道では負けない様に頑張ろう!と、心秘かに思う会長先生なのです。
そんな過去がありますと、このブログに書いた事があります。
その歴史は18の時に六本木で始まり、新宿・渋谷・代々木・高円寺・銀座
自由が丘・江古田で、月に4~5本のライブを行っていました。
ある日ライブの打ち合わせの為、新宿南口の明治通り沿いにある
「NY Antiknock(現・Antiknock)」を訪れました。
スタッフとの打ち合わせも終わり、店を出て、地上に続く階段を上がると
突然
「おはようございます!」
大きな声が地下通路に響きました。しかもそれは三重奏で。
顔を上げると、そこに居たのは「コント赤信号」の三人。
大袈裟な表現ではありませんが、彼らは本当に緊張した面持ちで立っていた事を
今でも覚えています。
その日は打ち合わせだったのか、ライブがあったのか、定かではありませんが
会長先生を、店の関係者だと思ったのでしょう。
それに対し会長先生は、別に偉い訳でもないのに「おはよう」
と答えながら、彼らの間を振り向きもせずに抜けて行きました。
あれから30数年。
芸能の仕事では全くの敗者ですが、剣道をするリーダーをテレビで見る度
剣道では負けない様に頑張ろう!と、心秘かに思う会長先生なのです。
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